会社沿革
クイーンズランド州の奥地ウィントンとロングリーチでの創業時から、世界的な航空会社としての地位を確立した現在に至るまでのカンタス航空の歴史をご紹介します。クイーンズランド・ノーザンテリトリー航空サービス株式会社 (QANTAS) 設立の裏には、強い意志を持って困難を乗り越えてきた人々がいました。
創業初期 1918年~1938年
1920年11月、オーストラリア空軍の退役軍人ポール・マクギネスとハドソン・フィッシュは、オーストラリアと世界を結ぶ航空輸送事業を構想しました。1920年11月16日、クイーンズランド・ノーザンテリトリー航空サービス株式会社 (QANTAS) が会社として登記されました。
第一線の航空会社として活躍 - 1939年~1945年
いくつもの航空機が王立オーストラリア空軍の軍用機として転用される中、カンタス航空は1939年9月の宣戦布告後もシンガポール路線およびオーストラリア国内線の運航を継続しました。シンガポール路線は戦時制限下も続行され、1940年4月にはカンタス航空が一部所有権を保有するタスマニアン・エンパイア・エアウェイズ・リミテッド(TEAL)により、ニュージーランド行きの旅客便の運航が開始されました。
戦後の航空事業 - 1945年~1958年
第二次世界大戦後、航空機の高齢化や限られた資本により、カンタス航空は困難な時期を迎えることになりました。1947年には、連邦政府による所有権の取得が決定。1947年12月には、カンガルールートが開設され、新たなカンタス・コンステレーション旅客機がロンドンに向けて出発しました。その後まもなく、日本、香港、南アフリカ路線も開設されました。1949年、ノーフォーク島とニューギニアを除き、カンタス航空の国内線サービスは停止。
ジェット機時代 - 1959年~1995年
1959年、ボーイング707型機の納入により、カンタス航空のジェット機時代が幕を開けました。 1960年代には、カンタス航空「V-Jets」が新たな航空経路を開設し、世界規模で新しい目的地および航空路線の拡大に成功します。1960年代には、より多くの移民が海路ではなく空路で渡豪するようになりました。
民営化 - 1995年~2019年
民営化以来、カンタス航空は安全性とイノベーションに注力を続け、先進の技術を採用しています。そしてエアバスA330機、A380機、ボーイング787ドリームライナーを含む新型航空機が登場しました。人々を取り巻く環境が不安定さを増し、競争が高まり、困難を極める中で、カンタス航空はあらゆる居住大陸に国際旅客便を運航し、貨物サービスの提供を続けています。オーストラリア国内において、カンタスグループのネットワークは他社に類を見ない数の都市および地域を結んでいます。
100周年~2020年
アウトバックの小さな滑走路から世界有数の航空会社へと成長を遂げたカンタス航空は、スピリット・オブ・オーストラリアとして2020年11月16日に創業100周年を迎えました。
新しい時代 - 2020年~今日
カンタス航空および航空業界にとって史上最も困難な時期となった、新型コロナウイルス感染症のパンデミックの影響についてご覧ください。
カンタス航空およびエアバスは将来を見据え、持続可能な航空燃料の国内産業の確立に努めています。